子育ての話題がどうしても多くなってしまいますが、
息子の言語についてお話したいと思います。
子供の言葉についてどのように教育していくべきか、ということは
息子が生まれる前からダーリンと色々話し合ってきました。
様々な文献をあさったり、国際結婚をして海外で暮らしている方の
本を読んだり、バイリンガルやトリリンガルの方たちの
生い立ちや言語習得背景について色々情報を集めたりしました。
そして、私たちは1人一言語に徹底するということに決めました。
つまり、私は息子と話す時は、日本語のみ、
ダーリンはマケドニア語のみで話すのです。
例えば一緒に夕食を食べている時も、
私は子供に対して日本語、ダーリンはマケドニア語、
私とダーリンで話す時は英語、
当の息子は日本語とマケドニア語で、
という感じです。
息子の言語習得にはとても興味があり、色々注意しながら
様子をみているのですが、
2歳3カ月となった息子は、どちらの言語も理解し、
今のところ両言語を同じくらいのレベルで発しています。
どうやら物事には二つ以上の名前がある、ということを
ずっと小さい頃から認識しているように思います。
例えば、”りんご”、はマケドニア語で、”јаболко”
りんごをみながら、“りんご、јаболко” と繰り返して言ったり、
”これ”、は ”ова”
何か欲しいものがあると、指をさしながら
”これ、ова、これ、ова” と繰り返しながら言ったりします。
私と”りんごおいしいねー”と言いながら一緒にりんごを食べている時に、
ダーリンが ”што е ова?(これは何?)”とマケドニア語で聞くと、
”јаболко!”、と答えたり、
私のことはたいてい”ママ”、と呼びますが、
ダーリンが私のことを名前で呼ぶのを聞いていて、
時々”マリーー!!”と名前で呼んだりします(笑)。
ので、”りんご”も”јаболко”も同じもの、
”ママ”も”マリ”も呼び方が違うだけで同じ人、
というのをちゃんと分かっているんですよね。
ただ、まだはっきり使い分けている、という感じはなく、
私が日本語で、”ココア欲しい?” と聞いても
”Не сакам(いらない)”
とマケドニア語で返事をしたり、
他の人がマケドニア語で話しかけても
日本語で返答したり、と
自分の気分でその時思いついた言葉を発するという感じに
見受けられます。
でも面白いな、と思うのは
日本語で”欲しい?”と聞いていることに対して、瞬時にマケドニア語で
”いらない”、と返事をすること。
日本語の”欲しい”とマケドニア語の”сакам(欲しい)”が、
同じ意味であるということをきちんと理解している、というのが
すごいなぁと親ながら感心してしまいます。
少々複雑な言語環境で育っているということもあり、
周りの子どもと比べたり、周りの子どもより、遅いかもしれない、と
不安に思うことはあまりありませんが、
日本人の同い年くらいの子供がどれくらいお話をして、どれくらいの
コミュニケーションがとれるのかな、ということには
とても興味はあります。
実際どうなんだろ?
ただ、今一番大事なことは、息子が成長している
という事実だと思っています。
そのペースが早いのか遅いのかは良く分かりませんが、
確実に先週できなかったことが今週できるようになった、
一か月前には分からなかったことが、今月になって
言葉で表現できるようになった、という
成長を日々感じることができます。
将来自分の第一言語を決めるのは息子本人であり、
私たちが決めることはできません。
今理解している言語も、今後育つ環境によって、
どんどん変化していくと思います。
それでもマケドニア語も、日本語も彼の母国語です。
どちらの国にも彼の家族がいます。
家族間でも言葉を理解することができず、
取り残されたような気持ちになるのはつらいこと。
両方同じようにずっと話すことができるかどうかは、
私たち両親の責任でもあると思っています。
私自身は日本人の両親の間に、日本で生まれ、
日本で育ったので、
数ヶ国語を同時に習得するということが、
どういうことなのか、想像もできませんが、
どうにか息子が上手に両言語を習得し、
使えるようになってくれるといいな、と思うばかりです。